雨は、街の醜い凹凸を塗りつぶすように、ただ執拗に降り続いていた。
バイト帰りの高架下。コンクリートの壁に背を預け、碧(みどり)は泣いていた。その名の通り、深く透き通った瞳から溢れる涙は、街灯の光を吸い込んで、割れた硝子細工のように鈍く輝いている。
「もう、無理みたいです。彼とは、どうしても」
震える声が、湿った夜の空気に溶けていく。彼女の細い肩が、寒さからか、あるいは絶望からか、激しく波打っていた。私は聞き上手な先輩という仮面を張り付けたまま、「そうか、辛かったね」と月並みな言葉を口にする。だが、私の内側で疼いていたのは、高潔な同情心などではなかった。
雨に濡れて張り付いたブラウスから透ける、白皙の肌。拒絶を知らない、無防備な涙。それらを見つめる私の瞳の奥で、救済という名の免罪符を求めて、昏い所有欲が鎌首をもたげた。彼女が弱れば弱るほど、その透明な輪郭を私の色で塗り潰したいという、卑しい飢えが胃の腑を焼く。
「このまま一人で帰すのは、心配だな」
その言葉は、決して嘘ではなかったが、自分自身に向けた狡猾な言い訳だった。
碧の部屋までの道のり、傘を打つ雨音だけが、私たちの沈黙を埋めていた。彼女の部屋へ向かう階段の手すりを触るとき、指先に伝わる金属の冷たさが、一瞬だけ正気を取り戻させる。だが、鍵が開く小さな音と共に、私の理性の糸は、ぷつりと音を立てて千切れた。
部屋の中は、驚くほど静かだった。カーテンの隙間から漏れる街灯の光が、床に長い影を落としている。
「先輩……」
碧の拒絶を情けなくも期待した私の正気は、彼女が私のシャツの袖を、力なく、けれど確かに掴んだ瞬間に霧散した。彼女もまた、一人でいることに耐えられず、目の前の濁った熱を求めていたのだ。
そこからの記憶は、熱に浮かされた混濁の中にあった。
闇に溶ける衣服の擦れる音。しなやかな指先が私の背に食い込み、震える爪が皮膚に微かな傷を刻む。直接的な言葉を交わす余裕などなく、ただ重なり合う呼吸の速度だけが、この夜の激しさを物語っていた。
彼女の肌は、雨に濡れた名残を消し去るように、次第に噎せ返るような熱を帯びていく。夜を焦がすような汗の匂いと、微かな石鹸の香りが混ざり合い、私の肺を満たした。シーツに刻まれる無数のしわは、私たちが道徳という名の岸辺から、いかに遠く流されたかの証左であった。
碧の長いまつ毛が、苦しげな吐息に合わせて微かに揺れる。その瞬間、私は彼女を支配しているという歪な悦楽に浸りながらも、同時に、彼女という底なしの淵に引きずり込まれていくような恐怖を覚えていた。
朝に至るまで、幾度となく、彼女は嬌声をあげ、私は夢中になった。彼女が頭を振るたびに、涙がこぼれたが、それが悲しみによるものなのか、悦びによるものなのかは、もはやわからなかった。

やがて、狂熱の嵐が過ぎ去る。
しらじらと明けていく窓の外の光が、容赦なく部屋の隅々を照らし始めた。
隣で眠る碧の寝顔は、昨夜の情事が嘘のように静謐だった。だが、朝日を浴びた彼女の横顔を見つめる私の胸にあるのは、愛着でも満足感でもない。喉の奥に張り付いたような、ひどく乾いた自己嫌悪だった。
昨夜、あれほど欲した彼女の体温が、今はひどく異物のように感じられる。碧という一人の人間を救ったつもりでいて、結局のところ、私は彼女の絶望を餌にして、己の欲望を満たしたに過ぎない。
取り返しのつかないことをしたという倦怠感が、鉛のように全身にのしかかる。碧が目を覚ましたとき、私は一体どんな顔で、どのような言葉を投げかければいいのだろうか。
「……おはよう」
そんな空虚な言葉を口にすることは、今の私には耐えがたかった。
私はそっとベッドを抜け出し、床に散らばった衣類を拾い集める。昨夜の汗が乾き、肌を突っ張らせる感触が、あまりにも生々しい。
窓の外では、雨が上がっていた。洗われた街は清々しい顔をして動き始めているが、この四畳半の空間だけは、腐りかけた果実のような淀んだ空気が滞留したままだ。
私は眠り続ける碧に背を向け、逃げるように部屋を後にした。
胸の奥を、ざらついた砂が流れていくような感覚。救済のふりをした略奪の結末は、甘い余韻など残しはしない。ただ、冷え切った夜明けの光の中で、取り残された二人の空虚な影が、永遠に交わることなく伸びているだけだった。



